滑川工業団地協同組合は14社の企業・技術・ヒトを連携させた
幅広い産業分野と共に新時代に向けて成長を目指す場所です。

 昭和45年1月、魚津機械工業センター工場団地協同組合(現魚津企業団地協同組合)が補完事業として、当初の計画敷地が限界に達したので、隣接の滑川市に第2団地の造成を行い、魚津・滑川両市の機械・金属製品製造業者に呼びかけ、用地の確保と公害の防止を目的とした計画を樹立し、昭和46年3月の補完事業計画診断の結果、新団地による集団化計画に変更、昭和46年9月に再診断を受け、昭和46年11月、滑川鐵工団地協同組合を設立し3年計画により昭和48年度に10社の団地進出を完了した。
 その後、オイルショック等による経済の激変など、経営環境が厳しさを増したにもかかわらず、昭和52年度に1社、昭和53年度に2社の加入により、組合員数11社となった。
昭和56年10月、滑川・魚津両市内の公害問題に悩んでいる企業より、団地に進出の希望申し出があり、隣接地の取得を滑川市に要請すると共に、補完事業計画を作成し昭和57年10月、4社加入した。
 なお、新規組合員の加入により、異業種団地と昭和58年5月の通常総会において名称の変更を決議し、滑川工業団地協同組合と変更しました。